フィールドづくり

物づくりには2種類あると思っているんですよ。1つはコンテンツ作り、もう1つはフィールド作り。ボクはずっと、フィールド作りの方が好きなんですね。
コンテンツというのは、作り上げた瞬間に完成してしまう。それがどうもつまらないと感じてしまうんです。フィールドというのは場所、つまり場作りですよね。作った後から誰かが入ってきて、その人たちが勝手に使って、何かをやり出す。自分が作ったものが手を離れたところから、思いもしなかったことが起きる。その偶発性が、ボクは昔から好きなんです。
森を作ったからといって、そこで起きることは誰にもわからない。偶発性という形の調和が生まれる。自分ではどうにもならないものが残っている、というのが好きなんでしょうね。
そして場所がうまく回り出すほど、作ったボクは後ろに引っ込んでいく。場が動き始めたら、誰が作ったかなんて誰も気にしない。勝手に使われている、というのがボクには小気味いい。
ただ、フィールド作りというのは厄介なことがあって、報われにくいんですよ。コンテンツは作ればすぐ完成形が現れて、評価してくれるヒトもいる。でもフィールドは、誰かが来て使ってくれるまで時間がかかる。しかも評価してくれるヒトはほぼいない。手応えのない時間が、随分と長く続く。
新聞記者になりたいというヒトはいても、新聞社を立ち上げたいというヒトはそんなにいないでしょう。日比谷公園を知っているヒトはいても、設計したヒトの名前を知っているヒトはほとんどいない。コンテンツを作ったヒトにはお金が払われ、ファンがつく。でもフィールドを作ったヒトは、木の下で銅像になっているくらいが、ちょうどいいのかもしれません。
先日たまたま、お年寄りのシェアハウスの動画をYouTubeで見たんですよ。その建物の設計思想がしびれましてね。入所者それぞれに独立した部屋を持たせる。しかも部屋と部屋の間に必ず中庭や空間を挟んで、壁一枚隣にドンドンと音が届かないように配慮して作ったと。入所者同士が仲良くするために、部屋はどう設計されるべきかという思想が、建物の隅々に組み込まれている。
場所だけ作ればフィールド作りとは言えない。ヒトが集まり、中身が生まれやすいように設計するということが大事なんですよ。中身が育ちやすい環境をどう作るか、というのがフィールド作りの本質だとボクは思っています。
MAMEHICOのホームページも、メンバーページも、ずっとそういう発想で作ってきました。思想が設計に現れる、というのがフィールドのいいところでしてね。ボクのことなど全く知らないヒトがお茶を飲んで、わちゃわちゃやっている。それがいいんですよ。
YouTubeを作ろうというヒトよりYouTuberになりたいというヒトの方が多い時代に、フィールド作りがもう少し日の目を見るような社会になったらいいと、ボクは思っているわけです。
皆さんはどうでしょう。

代表・井川さんのお話会。
「始めて続ける」を、一緒に考えてみませんか。
6/14(日) 10:00〜 / 15:00〜 神戸
6/16(火) 10:30〜 三軒茶屋
7/14(火) 10:30〜 三軒茶屋







